『人生とは問い続けるもの。答えを持つと奴隷になる。』
こんにちは♪ こすたりか♪ たっくんです。
先日とあるNPO法人主催のシンポジウムに参加してきました。
参加者は僕しかいませんでした。
それもいい。だって、主催者の方と思う存分お話が出来るんだから♪
今回の記事はシンポジウムのスーパーダイジェスト版。
(全編ver.はまた今度書きますね)
3時間のシンポジウムの中で1番心に残った言葉を紹介します。
人生とは答えを求めるではなく、問い続けるもの。
答えを持つと、人はその答えに縛られ、答えの奴隷になってしまう。
問い続けていく中で、君の生き方が答えになっていく。
(NPO法人チェンジ・ザ・ドリーム・シンポジウムより)
はい、タイトル出落ちですね。
まだ上手く消化できていない部分もあるのですが、確かにそうだなと。
僕らの多くは、人生の『答え』を何としてでも見つけようと躍起になってます。
それが生きる意味だとでも言うように・・・そんな簡単に見つかりませんよ。
僕は悟りを2.8回ほど開いたのに見つけられないし、マイ・スウィート・ラブリー・エンジェルすら見つかってないのに・・・
そして、もし仮にやっとの思いで、「これだ!」と思える人生の答えを見つけたとしましょう。
それにすがらない訳にはいかないですよね。(わらわら)
しかし・・・時より脳裏によぎる嫌な感じ。
「その『答え』は本当に正しいのか?」
「そもそも答えって何?」
・・・
やっと見つけたのに、『答え合わせ』なんかしたくない。
また探すなんて・・・もう無理ぽょ・・・
答えの詮索はもう辞めましょう。答えが何なのかなんて、知る必要はないのかもしれません。
ひたすらに、自分のことを、人生のことを、世界のことを、日々の生活を問い続けていれば。
僕も、問い続ける生涯を送ってきました。
「人は幸せに生きていないんじゃないか?」と問い、
「幸せとは一体何か?」と問い、
「あらゆる命の幸せのために、必要なことは何だ?」と問い、
「人はどんな時に幸せを感じるんだ?」と問い 、
「そのために俺は何が出来るのか?何がしたいのか?」と問いています。
まだ、どの『問いに対する答え』を見つけていません。
ですが、自分で言うのも変ですが、その『幸せ』を問い続ける生き方は、間違いなく『幸せ』だと言えます。
ずっと問い続けると思います。答えは見つからないだろうし、もう答えなんて見つけなくていいかなと。
それに、僕の場合、答えが見つかっちゃたら、何か嫌じゃないですか(笑)。
僕が問い続ける中で、『色んな幸せ』を感じられる人や命がいれば。
もうそれで充分だよ。
またね♪
【編集後記】
♪って何とも言えないあざとさを秘めてますよね。